【泊まった】クリニック・ブレテシェ - 子宮全摘手術メモ(退院まで)

  • 2023年7月4日(火) 手術翌日の朝にはもう尿道カテーテルのほうを抜いてもらう。血液が溜まっているほうの容器(ドレーン)はまだ体についたまま。「なるべく動いてください」といろいろな人に言われるので(術後すぐは絶対安静と書いてあることの多い日本の情報とずいぶん違う)、がんばって洗面所まで行き、タオルで体を拭き、手術着からAC/DCのTシャツに着替えてから、おもむろにスマホを金庫から取り出す。スマホは外では電話とSMSしかできないプランにしているので、いちばん最初にしたことはあらかじめ用意しておいたゴンチチのNHKラジオ「世界の快適音楽セレクション」ベスト回20個ぐらいを流すこと。このときから退院するまで、夜中もずっとエンドレスでかけていた。個室でよかった。

  • ガス出たー。しかしこの日の昼食と夕食の連絡には間に合わず、どちらもあまりおいしくない野菜のブイヨンだった。ヨーグルトに砂糖を入れて食し、気を紛らわす。


  • 昼すぎに夫が面会。私の顔を見たら安心したみたい。夫が帰った1時間後に今度は子らが2人連れ立ってやってくる。なぜおとーさんと一緒にこないんだろ?ちょうど娘がいるあいだに、9月から娘が進学予定の高校からオプションのアートクラスに落選した電話が入る。代わりにアートの歴史クラスを提案されたけど、娘は歴史のほうにはあまり興味がないとのことで、折り返し電話で連絡。おかーさんは歴史クラスでも受けてみたいけどな。けっきょく病院でも家のこと、やらなアカンかったわ…。


  • とまあ、入院中ってけっこうやることがある。それでもこれだけ落ち着いて編み物と読書ができるって素晴らしい。読書のほうは目のこともあって、1時間とか続けては読めなくなっちゃったけど、たいへんに貴重な時間。万一のための右手、点滴用の針はけっこう長いあいだつけてあった。

  • 夜寝てるあいだもゴンチチ番組つけっぱなし。家でもこんなことはできない。ときどき猫の泣き声みたいな赤ちゃんの声が聞こえる。このクリニックには産科もあるので、今日もまた赤ちゃんが産まれてるんだなーと。今回私のお腹から帝王切開と同じ傷で出てきたのは、残念ながら人間の双子ではなかったけど。

  • 2023年7月5日(水) 朝のドクター回診で翌日の退院が決まる。やっと普通食〜。食後もちょっと歩く練習など。しかしゴンチチでかかる音楽1曲分も歩いていられない。「2分未満の音楽」の回を入れておけばよかった…。



  • シャワーを浴びたいのだが、傷口の関係で明日の朝と告げられる。夕方、夫が面会。引っ越しの段取りなどをとりとめとなく話している途中でふと、「退屈じゃないの?」って聞かれた。あなたはいったい何年私の夫をやってるんですか。引っ越しの段ボールの箱詰めも私の本から始めた男。まあいいんですけど。

  • 2023年7月6日(木) もう退院の日。アパートに保険会社の人が来るとかで、夫がむかえにこられるのは13時。看護師さんに「お昼ごはんも食べていきますか?」って言ってもらえたので、ありがたく病院食をいただく。あまりおいしくはないのだが、ずいぶんと気が利くクリニックでよかった。

  • 帰りのエレベーターで、担当ドクターとばったり。お互いに「ボンバカンス」と言いながら、私は退院手続きの窓口へ。術後の検診は8月末。帰宅はシェアカーを借りてきた夫が車で。ほんで家に帰ったらカゴいっぱいの洗濯物が待ってるわけですよ…もう全部息子にやらせたけどね。

  • 1ヶ月の就業禁止期間の用紙ももらえたので、さっそく手続きしておく。生徒さんにもどのタイミングで知らせるとか、ちょっと悩んだりもしたけど、みんなから温かいメッセージもらえて、うれしかった。たいしたことできないけど、恵まれた日本語教師であるとは思う。

  • 手術から1週間たった今も傷口はまだ少し痛む。フラフラすることも多いし。帝王切開出産の人はどうやって赤ちゃんのお世話までしてるのか、すごいなあ。引っ越しのほうは夫が同僚やら家族やら友人やらに声をかけて5人ほど集まったので、たぶん大丈夫だろう。14年住んだアパートから、一軒家に移るのは今週末です。人生の大きなイベントが2つも重なった、2023年の7月でした。こんなことになるような予感は、年明けからしてたけどね、住まいも健康も。



    病院食のチーズがかわいかった。



    数独、久しぶり。食事ごとのシートで問題が違うのかと思いきや、同じでした。

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